
レ・ブルーが踏み出した新たな一歩
88年のユーロ、90年W杯とまさかの連続予選敗退。プラティニ時代の終焉と同時に氷河期へと足を踏み入れたレ・ブルーが新たな一歩を踏み出す。26歳のパパンはキャリアのピークを迎えプラティニが指揮を執る代表チームに不可欠なエースとして君臨。
映像は91年ポーランド戦のゴールを皮切りに89年マルメでのスウェーデン代表から奪った2得点。1990年2月のドイツ戦へと続く。前月西ドイツに3-0の完敗を喫したフランスだが、パパンのゴールで統合されたドイツ代表相手に借りを返しユーロ予選へと挑む。
8試合中6試合にフル出場して9得点。映像後半のチェコスロバキア戦とスペイン戦ゴールは真骨頂。特筆されるべきは出場した全試合でゴールを決めて本大会に母国を導いた功績である。
《記録よりも記憶に残る》フレンチストライカー
翌年の欧州連合発足に向け条約が調印された92年。ベルギー戦の強化試合に続き連覇を狙うオランダとの調整試合でもゴールを奪ったパパンは好調をキープして本選に臨む。但し当時のユーロは少数精鋭主義。同組の顔触れは宿敵イングランド、開催国スウェーデンと隣国デンマークには地(ホーム)の利がある。苦戦は必至。予想通り初戦のスウェーデン戦は、パパンのゴールで辛うじて1-1ドロー。
続くイングランド戦は双方慎重になりスコアレス。そして総てのチームが可能性を残す状況で、ダニッシュダイナマイトとマルメにて雌雄を決す。開催国第二の都市はデンマーク国境とは目と鼻の距離。デンマーク1点リード、完全アウェーの重圧をパパンのゴールで振り払ったのは後半15分。試合を振り出しに戻した。パパンとこの街の相性は悪くない。
するとニールセン監督は勝負を賭けて手札を連続で切る。采配は的中しラインを跨いでから7分後に背番号10エルストルップのゴールが決まり、最下位から決勝トーナメントへの扉を開いた。その後もデンマークの勢いは衰えず蘭独の強豪国を連破、アンリ・ドロネー杯まで手が届く大波乱が起こり、器は小さいながらも熱狂の宴は成功にて幕を閉じた。
92年11月W杯予選フィンランド戦に続き、94年12月ユーロ予選のアゼルバイジャン戦、劣悪なピッチで決めた代表でのファイナルゴールの映像。
クラブチームに比べ代表では輝かしい結果を残せなかったパパン。アクロバティック&ダイナミックなボレーシュート、ヘディングも含め長いボールにタイミングをあわせる感覚に秀で、難易度の高い芸術的なゴールはフランス国民を魅了した。
マルセイユやミランならば、フリーキックや巧みなドリブルでDFをかわした映像も選ぶだろうが、協会公式の「代表」限定。映し出される対戦相手は前述の欧州列強国を代表するプレーヤー達であることを踏まえてユニフォームのカラーにも注目しながら、《記録よりも記憶に残る》フレンチストライカーの13ゴールを堪能していただきたい。
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おすすめのコメント3
hato
15年12月18日
うちの親父が好きで家にポスター貼ってあった!
木谷
15年12月18日
懐かしいなぁー。どの時代も偉大な選手はいるね。
板倉
15年12月19日
へーこんな選手いたんだ